2010年3月30日火曜日

300年の謎匣完読

推理小説...なのだけど、そして名探偵小説なのだけど、
本筋は「ミステリ」としかいいようがない、
なかなか楽しい小説でした。

なんたって、挿話が8割を占める小説なのだ。

面白かった。うん。

2010年3月29日月曜日

陋巷にあり 完読

100円本で全巻入手した陋巷にあり、完読。
なんかすんごく時間をかけてしまった。

で、え?あの終わり方ですか??? って突っ込みつつ、そのうち書かれるのだろう(か?)続編に期待。

孔子って、この小説に限らず不思議な人だ。

「礼」の大家。

まったく、わからん。
冷泉家やら華道師範やらを思い浮かべるが、まったく違うわけで、書いた本が「論語」その他。いや、論語だって、孔子が火の玉食った....じゃなくて、師のたまわったと書いている以上、弟子やら孫弟子やら曾孫弟子やらが書いたもんである。さっぱりわからん。第一、古い。

怪異を語らないくせに、怪異好きな面が見えるおっさん。
礼儀好きなくせに、酒はokというおっちゃん。
礼を守るというなんとなく守旧派に見えるくせに、やったことは果断過激なおじさん。
背が高くて大男で武術もそれなりにあったようなのに、文治徳政を説くおじさま。

一つの「解釈」として、陋巷にありを読んで、まあ、これもありなのかと考える。

それにしても「礼」ってなんだろう。
孔子の礼は「合理的」な感じがする。確たる理由はないが。
後世の礼が非合理なオマケでしかないのに対し、礼そのものは合理的な感じだ。
ただし、礼が相対するものが不合理な存在だったりするから、礼を語る際にややこしかったのではとは思うが、合理的な存在に対する礼を書いた場合には、その礼は合理的で華美を嫌っている。

法のない世界で、人と人がどう付き合うかを、規則ではなく、知識として、生活として得たものが礼なのではないかと。それは不合理ではあるが、合理的ではある。それが礼かなと。

なんだか破綻した文章でごめんなさい。昼休みって短いね。

人間はシステムに仕えるのではないということか

人間が働くということは、よほどその仕事に独自性でもない限りは、何かに仕えるということである。
会社だったり、上司だったり、使命だったり、思想だったり、国家だったり...

だが、モチベーションを維持する際に、その仕える先が
「会社システム」「評価システム」「目的管理システム」「イデオロギー」
では、維持できないのだなと考えた。
理由はない。そう考えたということだ。

事業仕分けが始まる。
この私のような会社勤めの人間で、研究者ですらないような人間でも、多少は関係があり、
もしもそのテーマが仕分けられたなら、衝撃だろう。
仕分け人とは仕える先ではなく、国家が仕える先であるとして、
国家は仕分けシステムで人を篩い分けるのだとしたなら、
私は国家に仕えることはしないだろう。

要は単なるリスキーな職場としてそこを見るだけだ。

2010年3月26日金曜日

民主化と自由主義と経験と度胸と

世界の国がぶっ倒れるときには、それも、その後自由的な国家ができるときの流れとして、

ボロボロまたはぐじゃぐじゃ

民主化運動

革命などで国がぶっ倒れる

自由主義社会

...

という流れを進むことが多いような気がする。
なんでかなと思った。

つまるところ、自由主義って「経験則」で「自主判断すること」であるからして、国がぶっ倒れたなんて際に頼れるのは自分ということで、経験に頼ると自由主義がはびこるのだと思う。
対して、民主主義ってのは、自分の経験では先に進めないよと行き詰まったときに、合理的に考えて先に進もうとする、その度胸によってうまれるんだろう。

と、あくまで、思っただけなんだが。

根拠ないけどね。

2010年3月22日月曜日

さしひき10冊

4冊返し、14冊買ってきた。

曰くつきの2度借り 銀弾の森、
やっぱりよかった カディスの赤い星、
意外にいまいちだった イルミナシオン by 山田正紀

多分、本ではなくて、私の体調が悪かったんだろう。

計4冊を返却。

その足で(て、自転車だが)ブックオフへ向かう。
その前に、ペットボトルと、牛乳パックをヤマイチに届けるっと。リサイクル☆

で、14冊。

公主帰還 by 井上祐美子 ...でも、これ多少デジャブな感じが....またやっちまった?二度買い。
誘発者,ザトライアル by 飯田譲治
三百年の謎箱(変換されん...) by 芦辺拓
陋巷にあり8-13 by 酒見賢一
茶室殺人事件 by 今野敏
スピードグラファー2,3 by 仁木稔
武士の紋章 by 池波正太郎

さー、これで大体2週間は持つだろう。

1000円以上買ったらクジがひけて、50円当たった。しょぼいけど、はずれよりマシ。
お、今回は日本全国津々浦々、どこのブックオフでも使えるちゃんとした商品券でした。
やっぱ、そうこなくちゃね。

さて、何から読もうかな。
ま、メシ食ってから考えるとしよう。

2010年3月21日日曜日

グアルディア

面白かったーーーーーー。
ハイペリオンの没落を読んだとき以来の面白さだった。

日本っていいね。こういう本が100円(*2 by 上下巻)で手に入る。
このインフラは絶対国民レベル維持につながるから、国策にすべきだよ、ハト民主。

ま、それはともかく、内容に関しては至るところで絶賛されているので、付け加える事もない。
グアルディアは、とっても贅沢な内容のSFだ。
中南米を舞台に、ガジェットをちりばめ、愛のかけらなどない絶望的な未来を、しかし、愛情に満ちた未来を歌い上げたこの小説は、なんでもっと注目されないかな?まあ、素晴らしいのだからよいとしよう。

電車で毎日読んで、終わりそうになって悲しくなった。
あの限りなく絶望的で、限り無くとても嬉しくて泣きたくなるようなラストを読んでいるときには、思わず駅を乗り過ごしそうになった。

いや、乗り過ごしてしまえばよかった(笑)
楽しく遅刻できたに違いないのに。
まずいか、私係長、管理職なり。

ほんと、面白かった。
楽しかった。

そして、悲しかった。本って、おしまいまで読むと、終わっちゃうんだね...

現金書留捜索記

現金書留なぞを大学入学した姪に贈ろうと思い、郵便局に買いにいく。
何年ぶりだろう。いくらなのかもわからず、買いに行く。

近所の郵便局は一日中やってるから大丈夫....と土曜日にのこのこ夜中に行って、門前払いを食らう。え?夜は売ってくれないの!!!そこにあるじゃーん...

サービスレベルの規定がちゃんとあるようだ。コンビニではない。郵便局なのだ。やっぱり。

ま、いいさ。コンビニ、ローソンが目の前にあるではないか。
「現金書留ある?」
にーちゃん捜す。「あー。売り切れです。」あ、そう。

わーった。ファミマで。
三つあるレジのうち、ひとつは高校生位の女性が宅急便でてんぱっているようなので、隣のレジへ行く。
お、日本人ではない。インド人かな?流暢な日本語で愛想よく話してくる。
「現金書留あるかな?」
「それの封筒、郵便扱ってないから、ウチないよ」
前言撤回。けっして流暢ではないね。でも、十分通じる。君、がんばりなよ。でも、私の役にはたたなかったよ。

さらに数件。結論。コンビニにはない。
しかたない。明日は御茶ノ水出張なので、そこで郵便局に行こう。

御茶ノ水駅から、小川町の方へ歩いて数分。
井上眼科とニコライ堂を経て、昔良く来た住友のビジネスビルにあるはず....と、
そこで「建築現場」を発見し、テンパる。そーだった。取り壊している真っ最中じゃないか!!!

あーーー。どこにあるの。郵便局。

携帯で検索する。
これがまた年代モノの携帯だからなかなか捜せない。
見付かる。え?大学傍。駅向こうね。

歩く。散歩道が頭の中に流れているような軽快なステップで歩く歩く。昼休み時間だもの。出張先は会社に比べてそりゃ気楽だもの。

で、.....え?見付からない。この辺りにあるはずなのに......
ん??下か!
自分が橋の上にいるということに気がつき、下を見ると、赤いひさしの郵便局。ビンゴ。

やっとたどり着く。20円なり。

ダイソーで5枚組みで売れよ!
と、ブツクサいいながら、出張先に向かう。
あるこーあるこー私は元気。

ぽかぽかした3月の御茶ノ水を散歩する。
仕事等どーでもいいなと想いつつ、会議の場所、某ホテルへ。

銀弾の森

アホだ。でも、図書館でよかった。
何かというと、本の内容ではない。本の内容といえば、さらに磨きのかかった悪党禿鷹が、もうなんだかってくらいに悪く立ち回る痛快なそして奇妙にやさしい怖い小説なのだけど、そんなことじゃない。

二度目なんだ。去年末にコレは読んだ。
それをわざわざ予約して、図書館の窓口で受け取ったとたん、お、デジャブ。絶対読んでるわコレ、....と自分の記憶の悪さにぶーたれながら、でも、何故かそのまま返却する気も起きず借りてきてしまった。

と、いうわけ。
で、読んだ。面白いさ!当然。
でもね、やっぱりこういうときは斜め読みになるね(苦笑)

カディスの赤い星

多分、16年ぶりに読むのだと思う。
違うかな。でも、そのくらい昔だ。カディスの赤い星。
再び読んだ。船橋図書館に感謝。
やっと自分がこういう小説を読める年になったのだとつくづく思う。
以前読んだときは、読んでなどいなかったのだ。まったく。

私はこの数年で、年をとったのではなく、トシを取った。
卑下するわけではなく、普通にそう思う。
やっと、おっさんに育ってきたようだ。

ふと思う。
あと10年経ったなら、もう一度船橋図書館に借りに行こうと。
手垢がつき、下手すりゃ書庫に押し込まれているであろうこの本に、もう一度会えたなら、
多少枯れているかもしれない自分に、
もういちどトシ取れやと声をかけてあげることができそうではないか。