元気のないときに読む本は決まっている。
北方さんの南北朝物だ。
こういうときに読む本は、司馬遼太郎でもいけないし、池波正太郎でもだめ。
SFだったら....何個かあるが、歴史ものなら、南北朝に限る。三国志や楊家将もちょっと違う。
道誉なり、武王の門、破軍の星、悪党の裔...
※楠正成だけは元気が出ないのでダメ
これらの本は、まず大学生が読むべきだ。そして、30歳過ぎが読むべきで、さらには40を越してから読むがいいと思う。
(デュマなんぞもそうかもしれない。コドモは読んでもいいが、コドモの読み方ではわからんものはわからんのだ)
決して、応援歌でもなく、ハッピーエンドですらなく、お涙頂戴ですらない。
絶望に満ちた小説とすら読める。ほぼみな、夢を絶望的なまでに失う男たちの物語だ。
が、同時に夢を絶望的なまでに持ち続ける男たちの物語でもある。
戦う。そして戦う。
元気になれるかなと、いや、元気かどうかはともかく、立ち直らねば。
2010年4月20日火曜日
2010年4月16日金曜日
おちこんだ
今日はいろいろと落ち込むことの多い日でした。
はあ...
仕事のミスはないし、トラブルのあったわけでもないし、家庭的な話題での問題もなし。
単に、自分の仕事上の存在価値の無さをつきつけられたという日でした。
ま、そういうこともある。
ただ、まあ、なんというか、
多機能を売りにしているレンジがあったとして、
そのレンジに対して、明日から洗濯機として働いてくれと言われたとしたら。
その仕事には、お届けガスト君がやってくるからね、
いや、料理なんてもうしないから、君の仕事には先が無いから、と。
いや、
え?多機能レンジ?
君ってそうだったの????
といった会話をしましたとさ。
なまじ信頼いていた相手だったので、そして自分の命脈をにぎる位置にいる相手だったから、正直、今日は落ち込んでしまった。まだ落ち込んでいる。
たぶん週末は元気になって、でも月曜日はまた落ち込んでいるだろう。
まあ、低脳といわれたわけではない。
自分がまったく評価していないジャンルの自分に関しては、買ってくれているらしい、ということもわかった。
そこで自分は能力など発揮したことは無いのだが、どうやらそう見えているらしい。
というか、恐らくは世辞なのだろう。
当たり障りが無く、普通ならだれでも喜ぶ内容をリップサービスとして言ったのだ。
上司のさらに上から世辞など言われる私は何なのかと思うが、その世辞が皮肉にしか聞こえない私の耳がおかしいだけか。
なぜ私が憤慨して立ち去ったのかを理解はしないに違いないし、恐らく些事と考えるだろうこともわかる。そうしたこともふまえ、私はどうやらオトナではなかったし、さらにいえば、若くすらないのだなと。反省というより、やはりただただ薄ら寒さを感じている。
さて、どうしたものか。
私は自分の身の振りを考えなくてはいけないようだ。
何の仕事をしようか。
私が目指してきた、万能レンジはもはや不要らしい。
困ったことに求められている機能は、今まで得たスキルとはまったく違うスキルであり、いや、スキルすら要らない仕事だとも言える。
私に求められているのは、チームの部品として、それも標準部品として働くことだ。
求められるだけマシということか。
いつかは来るはずのことなのだから、首にならんだけマシということだ。
でも、さて、どうしよう。
本当にね。前向きになれるまで少しだけ時間が必要だろう。
我ながら、こんなことで弱気になるとは。
はあ...
仕事のミスはないし、トラブルのあったわけでもないし、家庭的な話題での問題もなし。
単に、自分の仕事上の存在価値の無さをつきつけられたという日でした。
ま、そういうこともある。
ただ、まあ、なんというか、
多機能を売りにしているレンジがあったとして、
そのレンジに対して、明日から洗濯機として働いてくれと言われたとしたら。
その仕事には、お届けガスト君がやってくるからね、
いや、料理なんてもうしないから、君の仕事には先が無いから、と。
いや、
え?多機能レンジ?
君ってそうだったの????
といった会話をしましたとさ。
なまじ信頼いていた相手だったので、そして自分の命脈をにぎる位置にいる相手だったから、正直、今日は落ち込んでしまった。まだ落ち込んでいる。
たぶん週末は元気になって、でも月曜日はまた落ち込んでいるだろう。
まあ、低脳といわれたわけではない。
自分がまったく評価していないジャンルの自分に関しては、買ってくれているらしい、ということもわかった。
そこで自分は能力など発揮したことは無いのだが、どうやらそう見えているらしい。
というか、恐らくは世辞なのだろう。
当たり障りが無く、普通ならだれでも喜ぶ内容をリップサービスとして言ったのだ。
上司のさらに上から世辞など言われる私は何なのかと思うが、その世辞が皮肉にしか聞こえない私の耳がおかしいだけか。
なぜ私が憤慨して立ち去ったのかを理解はしないに違いないし、恐らく些事と考えるだろうこともわかる。そうしたこともふまえ、私はどうやらオトナではなかったし、さらにいえば、若くすらないのだなと。反省というより、やはりただただ薄ら寒さを感じている。
さて、どうしたものか。
私は自分の身の振りを考えなくてはいけないようだ。
何の仕事をしようか。
私が目指してきた、万能レンジはもはや不要らしい。
困ったことに求められている機能は、今まで得たスキルとはまったく違うスキルであり、いや、スキルすら要らない仕事だとも言える。
私に求められているのは、チームの部品として、それも標準部品として働くことだ。
求められるだけマシということか。
いつかは来るはずのことなのだから、首にならんだけマシということだ。
でも、さて、どうしよう。
本当にね。前向きになれるまで少しだけ時間が必要だろう。
我ながら、こんなことで弱気になるとは。
2010年4月15日木曜日
子供を持つ親として、また、子供を育て終わった親からの意見からして...
子供手当てに関しては、アホくさいのでこれ以上コメントをしたくはないが、そのうち師走の申告時期になると「47子討ち入り」って申請所にあふれかえったりする事態が発生したりしないかと、ワクワクしながらやっぱり暗澹とした気分。
つらつら考えたが、税法と運用方法を変えなくてはならん時期が来たのだなと思う。
税法というのは消費税であり、運用方法というのは税控除である。
例えば
・消費税は15%に上げる (ひーーーっ)(笑)
・所得税は現状を維持する(鬼か!!!)
としておき
・ただし、支払った消費税は全額税額控除する
・この控除の結果で、マイナスになったとしても、さすがにそれは還付しません
つまりだ、「所得を消費しなかったら残りは課税するのだ」という考え方。
計算してみよう
所得200万円で税額15%とする。30万円が国に搾り取られる。
最初から、使用できる金額は 170万円だ。そこに消費税がかかる。5%。
よって、ホントの使用できる額は 161万円。
が、160万円の消費をし、24万円を所得税として支払い、16万円を残したとする。
その場合、所得税は6万円(30万円-24万円)になる。10万円が残る。
そしてややこしいことだが、国は「安定収入」を得る。
実際、所得税は払えない人が多いのだから。
多くの収入をし、消費に向かわず投機にうつつを抜かしていると、所得税がかかるというわけだ。
かといって、消費しすぎても還付はないので制約もある。
10分で考えたジャストアイディアだ。
ま、疎漏は山ほどあろうが、要はいまのままじゃダメってこと。いかが?
つらつら考えたが、税法と運用方法を変えなくてはならん時期が来たのだなと思う。
税法というのは消費税であり、運用方法というのは税控除である。
例えば
・消費税は15%に上げる (ひーーーっ)(笑)
・所得税は現状を維持する(鬼か!!!)
としておき
・ただし、支払った消費税は全額税額控除する
・この控除の結果で、マイナスになったとしても、さすがにそれは還付しません
つまりだ、「所得を消費しなかったら残りは課税するのだ」という考え方。
計算してみよう
所得200万円で税額15%とする。30万円が国に搾り取られる。
最初から、使用できる金額は 170万円だ。そこに消費税がかかる。5%。
よって、ホントの使用できる額は 161万円。
が、160万円の消費をし、24万円を所得税として支払い、16万円を残したとする。
その場合、所得税は6万円(30万円-24万円)になる。10万円が残る。
そしてややこしいことだが、国は「安定収入」を得る。
実際、所得税は払えない人が多いのだから。
多くの収入をし、消費に向かわず投機にうつつを抜かしていると、所得税がかかるというわけだ。
かといって、消費しすぎても還付はないので制約もある。
10分で考えたジャストアイディアだ。
ま、疎漏は山ほどあろうが、要はいまのままじゃダメってこと。いかが?
2010年4月12日月曜日
カエサルを撃て 再読
再読。まだ半分。
しっかし、カエサルっておっさんだったのだよねと再認識。
部下たちに「このハゲ親父に近づくな、娘がやられちゃうぞ」
って歌われながらローマ入場したりするオヤジだったんだよな。
そのオヤジと、ガリアの跳ね上がり青年王の対決を描く小説。
まったくもって、女性には薦められんが、おもしろい。
明日には読み終わろうと思う。
しっかし、カエサルっておっさんだったのだよねと再認識。
部下たちに「このハゲ親父に近づくな、娘がやられちゃうぞ」
って歌われながらローマ入場したりするオヤジだったんだよな。
そのオヤジと、ガリアの跳ね上がり青年王の対決を描く小説。
まったくもって、女性には薦められんが、おもしろい。
明日には読み終わろうと思う。
2010年4月4日日曜日
最近、少しボケてる
どうやら最近、少しボケてる。
つまらないことにミスするようだ。注意が足りない。よろしくない傾向だが、理由はわからない。
多分、気になっていることが多いからだろう。頭がテンパってしまい、それ以上働こうとしないのだ。
何かを先に進めようというとき、もっと自由だった時代は、何かを忘れたところでなんとかなっていた。
謝れば済むといったシチュエーションでは、謝ればいいということで、まずは先に進もう、まずはもっと抱え込もう。
でもいまは自分の両手の力と、すでに抱え込んでいるものの大きさに気がつき、そのさきに進めない自分の両足の細さとひ弱さに気がつくことが多い。自分はなんて育ちが悪かったのかと。
大人になってからも人は育つというが、なんか自分は育ちが悪い感じだ。いつまでもいつまでもボケた顔で生きている。
そんな気がするこの頃だ。
つまらないことにミスするようだ。注意が足りない。よろしくない傾向だが、理由はわからない。
多分、気になっていることが多いからだろう。頭がテンパってしまい、それ以上働こうとしないのだ。
何かを先に進めようというとき、もっと自由だった時代は、何かを忘れたところでなんとかなっていた。
謝れば済むといったシチュエーションでは、謝ればいいということで、まずは先に進もう、まずはもっと抱え込もう。
でもいまは自分の両手の力と、すでに抱え込んでいるものの大きさに気がつき、そのさきに進めない自分の両足の細さとひ弱さに気がつくことが多い。自分はなんて育ちが悪かったのかと。
大人になってからも人は育つというが、なんか自分は育ちが悪い感じだ。いつまでもいつまでもボケた顔で生きている。
そんな気がするこの頃だ。
2010年4月2日金曜日
文字、音楽、写真、記憶....
タイトルに4つ並べてみたことは、つまるところ、ここ20年で電子化されたもろもろの事柄だ。
電子化というのは便利で、どんなモノであれあっという間に量子のレベルに圧縮する作業だから、たいていの場合、オリジナルに比較してちっちゃくなる。
例えば、息子の幼児から幼稚園にかけての思い出なんぞだ。
息子が「お父さん、写真を撮ってほしい」と言い出した。
「お前を?」
息子「いや、おもちゃ。捨てるから。写真にとって、捨てるの。」
おお。息子、幼年期の終わり。(by クラーク)
何の悪魔が君にそんなコトを思いつかせたのかな。
息子「テレビでやってた」
そ、そうかい。なんだかな。
で、おもちゃ写真撮る。撮ったものは、汚れていたら捨て、綺麗だったらバザーやら甥っ子に贈ると。
というわけで、息子の6年は、一枚のチップに納まった。
ミカン箱サイズがチップ一枚だ。
そういうリアルを見せ付けられると、
この世のすべては電子化できるというぐーぐるのぐるぐる帝国計画も、現実味を帯びてくる。
図書館なんて、文字だけならテラバイトのディスクに収まるし、イメージ入れてもペタは要らない、数百テラだ。
音楽だって、たいしたレベルではない。多分、世界中のコマーシャルな音楽を集めて電子化したら、商業ビル一つにも満たないサイズで収まるだろう。
写真だってそうだ。
そして、人々の記憶を収めるものが全部アナログからデジタルに変わり、
記憶が外部に存在するようになった世界で、
人という種が失うものは、
忘却する能力であり、
忘却する能力とは即ち、記憶する能力であると、いうことが、
失ったあとで気がつき、
しかし、とはいえ、「何の実害もなく」文明や人は生きていくのであろうと考えると、
わくわくするような、暗澹となるような。
不思議な気分だ。
いや、その能力を失ったことすら気がつかないのかもね。
私は自分の漢字能力がまったく失われていることを、こうして日記を書いていても気がつきもしないのだから。
電子化というのは便利で、どんなモノであれあっという間に量子のレベルに圧縮する作業だから、たいていの場合、オリジナルに比較してちっちゃくなる。
例えば、息子の幼児から幼稚園にかけての思い出なんぞだ。
息子が「お父さん、写真を撮ってほしい」と言い出した。
「お前を?」
息子「いや、おもちゃ。捨てるから。写真にとって、捨てるの。」
おお。息子、幼年期の終わり。(by クラーク)
何の悪魔が君にそんなコトを思いつかせたのかな。
息子「テレビでやってた」
そ、そうかい。なんだかな。
で、おもちゃ写真撮る。撮ったものは、汚れていたら捨て、綺麗だったらバザーやら甥っ子に贈ると。
というわけで、息子の6年は、一枚のチップに納まった。
ミカン箱サイズがチップ一枚だ。
そういうリアルを見せ付けられると、
この世のすべては電子化できるというぐーぐるのぐるぐる帝国計画も、現実味を帯びてくる。
図書館なんて、文字だけならテラバイトのディスクに収まるし、イメージ入れてもペタは要らない、数百テラだ。
音楽だって、たいしたレベルではない。多分、世界中のコマーシャルな音楽を集めて電子化したら、商業ビル一つにも満たないサイズで収まるだろう。
写真だってそうだ。
そして、人々の記憶を収めるものが全部アナログからデジタルに変わり、
記憶が外部に存在するようになった世界で、
人という種が失うものは、
忘却する能力であり、
忘却する能力とは即ち、記憶する能力であると、いうことが、
失ったあとで気がつき、
しかし、とはいえ、「何の実害もなく」文明や人は生きていくのであろうと考えると、
わくわくするような、暗澹となるような。
不思議な気分だ。
いや、その能力を失ったことすら気がつかないのかもね。
私は自分の漢字能力がまったく失われていることを、こうして日記を書いていても気がつきもしないのだから。
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