2010年4月2日金曜日

文字、音楽、写真、記憶....

タイトルに4つ並べてみたことは、つまるところ、ここ20年で電子化されたもろもろの事柄だ。
電子化というのは便利で、どんなモノであれあっという間に量子のレベルに圧縮する作業だから、たいていの場合、オリジナルに比較してちっちゃくなる。

例えば、息子の幼児から幼稚園にかけての思い出なんぞだ。

息子が「お父さん、写真を撮ってほしい」と言い出した。
「お前を?」
息子「いや、おもちゃ。捨てるから。写真にとって、捨てるの。」

おお。息子、幼年期の終わり。(by クラーク)
何の悪魔が君にそんなコトを思いつかせたのかな。

息子「テレビでやってた」
そ、そうかい。なんだかな。

で、おもちゃ写真撮る。撮ったものは、汚れていたら捨て、綺麗だったらバザーやら甥っ子に贈ると。

というわけで、息子の6年は、一枚のチップに納まった。
ミカン箱サイズがチップ一枚だ。

そういうリアルを見せ付けられると、
この世のすべては電子化できるというぐーぐるのぐるぐる帝国計画も、現実味を帯びてくる。
図書館なんて、文字だけならテラバイトのディスクに収まるし、イメージ入れてもペタは要らない、数百テラだ。
音楽だって、たいしたレベルではない。多分、世界中のコマーシャルな音楽を集めて電子化したら、商業ビル一つにも満たないサイズで収まるだろう。
写真だってそうだ。

そして、人々の記憶を収めるものが全部アナログからデジタルに変わり、
記憶が外部に存在するようになった世界で、
人という種が失うものは、
忘却する能力であり、
忘却する能力とは即ち、記憶する能力であると、いうことが、
失ったあとで気がつき、
しかし、とはいえ、「何の実害もなく」文明や人は生きていくのであろうと考えると、

わくわくするような、暗澹となるような。
不思議な気分だ。

いや、その能力を失ったことすら気がつかないのかもね。
私は自分の漢字能力がまったく失われていることを、こうして日記を書いていても気がつきもしないのだから。

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