100円本で全巻入手した陋巷にあり、完読。
なんかすんごく時間をかけてしまった。
で、え?あの終わり方ですか??? って突っ込みつつ、そのうち書かれるのだろう(か?)続編に期待。
孔子って、この小説に限らず不思議な人だ。
「礼」の大家。
まったく、わからん。
冷泉家やら華道師範やらを思い浮かべるが、まったく違うわけで、書いた本が「論語」その他。いや、論語だって、孔子が火の玉食った....じゃなくて、師のたまわったと書いている以上、弟子やら孫弟子やら曾孫弟子やらが書いたもんである。さっぱりわからん。第一、古い。
怪異を語らないくせに、怪異好きな面が見えるおっさん。
礼儀好きなくせに、酒はokというおっちゃん。
礼を守るというなんとなく守旧派に見えるくせに、やったことは果断過激なおじさん。
背が高くて大男で武術もそれなりにあったようなのに、文治徳政を説くおじさま。
一つの「解釈」として、陋巷にありを読んで、まあ、これもありなのかと考える。
それにしても「礼」ってなんだろう。
孔子の礼は「合理的」な感じがする。確たる理由はないが。
後世の礼が非合理なオマケでしかないのに対し、礼そのものは合理的な感じだ。
ただし、礼が相対するものが不合理な存在だったりするから、礼を語る際にややこしかったのではとは思うが、合理的な存在に対する礼を書いた場合には、その礼は合理的で華美を嫌っている。
法のない世界で、人と人がどう付き合うかを、規則ではなく、知識として、生活として得たものが礼なのではないかと。それは不合理ではあるが、合理的ではある。それが礼かなと。
なんだか破綻した文章でごめんなさい。昼休みって短いね。
2010年3月29日月曜日
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